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ふろタンインタビュー

第10回 ふろタンインタビュー

まちナビ倶楽部の「居心地観察会」
平成10年12月にNPO法が制定・施行されて今年で20年、平成17年6月に設立した「まちナビ倶楽部」は既に13年の活動実績を持つNPO団体で、「ふろんてぃあタウン工房」を設立する時から、先輩格法人として色々とアドバイスを頂いたりし、交流を図ってきました。
「まちナビ倶楽部」の年末最後の定例会が飯田橋の東京都ボランティアセンターで行われ、開場準備中の会議室の片隅での昼弁当を食べながらの第10回ふろタンインタビューです。「まちナビ倶楽部」理事長の小澤一美さん(O)とまち歩き活動「居心地観察会」仕掛人の桂久誼さん(K)、長いお付き合いのお二人と裏話も交えながら楽しく語り合いました。(聞き手は室井理事長 M) 2018.12.20

「Nの会」から「まちナビ倶楽部」へ

M まちナビ倶楽部のホームページには前身の「Nの会」のスタートが2001年8月と書かれていますが、私はその前年の6月に公団から都市開発技術サービス出向し2001年6月に転籍しましたから、都市開発技術サービスで産声を上げた「Nの会」の動きを身近で関心をもって眺めていました。「Nの会」が行った駅力の格付けがいきなり新聞記事になって話題になりましたが、その記事を載せた2004年1月15日付の日本経済新聞を桂さんにお送りいただきましたので、それを見ながら今日のふろタンインタビューを始めたいと思います。


 記事には、「ニュータウン造りなどに携わり、第2の人生を歩んでいる中高年の人たちが、生活の足元を見直して質を上げようという思いからボランティアで取り組んだ。集まった約30人のメンバーは五~六〇代の公団 OB が主流」と書いてあって、写真には今も「まちナビ倶楽部」で活躍している金子さん・早川さん・田中さんが写っています。一人だけ若者が写っているのが、私が所属していた都市計画部の若手プロパー社員の西原クンです。

K 「Nの会」の活動拠点は都市開発技術サービスで、当時の社長の三宮さん、金子さん笛木さん等が相談しながら進めていました。事務局的な仕事は西原クンが熱心に手伝ってくれていましたね。「Nの会」が最初に取り組んだ活動が「駅力調査」、記事にあるように駅力の4要素を決めて私鉄の138駅を調査しました。

M 「駅力」7割が問題ありという見出しで、今読んでもかなり衝撃的な記事ですね。
 ホームページには「Nの会」の N の意味はノンプロフィットと書かれていますが、最初からNPO法人を立ち上げようという考えはなかったのですか?

O さあどうでしょう? 先進的な人ばかり集まっていたから、そんなことはいつでも出来ると考えていたんじゃないかな…(笑)

M 「まちナビ倶楽部」がNPO法人設立に動き出した頃は、公団がUR都市機構になり、技術サービスも都市整備プランニング等と合併して現在のURリンケージになりましたが(2004年)、私はその時4社統合の事務方みたいな仕事をやらされていて、倶楽部のメンバーに参加する余裕がありませんでした。でも2005年6月にNPO法人「まちナビ倶楽部」になり2006年から駅力調査にニュータウン調査と居心地調査が加わり、「居心地観察会」が始まってから私も賛助会員になって時々観察会に参加させてもらうようになりました。

K 駅力調査の流れを引き継いだのが居心地調査と云えますかね。

M 時が下って2013年3月に UR ワンゲル同好会の海外遠征登山でミャンマーのビクトリア山に登り、帰国後「山と共に生きる地域づくり」の取り組みを始めたいと思い、「まちナビ倶楽部」にミャンマー部会をつくってもらいたいとお願いしました。最初に相談したのが昨年亡くなられた三宮さん、「いいよ!いいよ!」と云われたのでその気になって定例会に説明に行ったら…

O 活動の違いなどの定款の変更手続きなどあって、「そう簡単にはいかないよ!」というのが全体の意見でしたね。


M ハナシが違うじゃん!(笑) 困っていたら、島さんが応援するから新しいNPOを立ち上げた方がイイよと助け舟を出してくれて…そういうことになってしまいました。それで名前も「まちナビ倶楽部」と同じようにひらがな+カタカナ+漢字にした「ふろんてぃあタウン工房」の設立発起人総会をワンゲル仲間で開催しました。不慣れな手続きに手間取って再申請になったりして、第2次ビクトリア山調査登山(2014年3月14~20日)には間に合わなくて、設立準備室のままでの行事になりました。そんな経緯があったことで気を使っていただいたのか、「まちナビ倶楽部」から三宮さんと森角さんが第2次隊のメンバーになってくれて、今でも感謝しています。

「居心地観察会」のベストポイント

M 後半は、今日のメインテーマ「居心地観察会」についてお話をお聞きしたいと思います。居心地部会がスタートした頃の話からお願いします。

K 駅力調査をする過程でまちの再生には「まちの居心地」を良くすることが重要だと考え、2006年首都圏私鉄駅前50地区について〔歩いてよし〕〔眺めてよし〕〔留まってよし〕という3つのキーワードによって居心地調査を行い、まとめたレポートが「まちの居心地を考える」、NPO法人まちナビ倶楽部としての最初のレポートで、発行者には初代理事長小手川さんの名が載っています。


O 2007年夏から東京都内を主体とした居心地観察会を始め、2009年4月の居心地部会のレポートからは「僕らは居心地探偵団」と云う楽しいタイトルになって、2018年4月の其の8まで続いています。

M 居心地観察会は、ジックリ観察する人、寄り道をしたがる人など色んな個性が出て面白いですよね。観察会よりも打ち上げの飲み会が楽しみな人もいる(笑) 私も多少その傾向がありますけど…観察会は今迄何回行われていますか?

K 一覧表を作って持ってきました。2007年7月の白楽・自由ヶ丘・代官山が第1回で、今年11月の武蔵小山まで75回です。その他に震災復興関係や台湾などの特別観察も8回あります。

M 先月の武蔵小山~戸越銀座の観察会が10年の年月を経て再度訪れた場所ということで、幹事の丹羽さんが10年前の会津画伯のスケッチと現在の写真を並べた報告レポートを書かれていましたが、他にもそんな再登場の場所がありますか?

K それは結構ありますよ。一覧表に赤いマーカーで塗ってありますが、8か所かな。

M 75回の内、一番遠くまで出かけたのはどこですか

K 2014年5月の防府・山口・萩・下関の第42回ですね。私が桜上水団地建替え事業で地元の山口に戻っていた時に小澤さんが幹事で企画してくれました。また私が山口在住の期間の居心地部会の幹事は上沼さんが引き継いでやってくれました。

O 第42回は2泊3日で企画していて、この時は熊本の村山さんも山口宇部空港で合流して参加してくれましたね。

M それでは愈々ベストポイント選考会に入ります。 お二人の印象に残っている観察会、それぞれのベスト3を挙げてください。まず桂さんからお願いします。

K 先ほど再登場の場所の話がありましたが第7回と第75回に行った京島、それと1番遠くで出てきた第42回の防府・山口・萩・下関、そして第18回の砂町銀座ですね。砂町銀座は、戸越銀座・十条銀座と並んで三銀座と云われています。

M では、小澤さんお願いします。

O 古い順に行くと、今話が出た砂町銀座の次に行った19回の京橋・銀座、こちらは本家の銀座ですね。次が第22回の商店街が印象的だった板橋宿・大山ハッピーロード、そしてやはり桂さんと同じ第42回の防府・山口・萩・下関です。

M お二人共通だった2014年の「防府・山口・萩・下関」がトップ、あとは並びで2008+2018年の「京島」、2009年の「砂町銀座」と「京橋・銀座」、2010年の「板橋宿・大山ハッピーロード」です。
以上、『居心地観察会ベスト5発表!』です。

トップ: 防府・山口・萩・下関
山口市菜香亭

下関市長府
京島 長屋住宅
砂町銀座 商店街入り口
京橋・銀座
和光ビルに三愛ビルの影(会津画伯)
板橋宿・大山ハッピーロード
ハッピーロード商店街
 慌ただしい中でのインタビューでしたがありがとうございました。
 「まちナビ倶楽部」と「ふろタン工房」、堅い契の義兄弟団体としてこれからもよろしくお願いします。
2018年師走の第10回インタビューは、2015年第4回の藤川和美さんと安田重雄さん、翌2016年第5回の小野寺昭さんに続いての新聞記事掲載のインタビューになりました。前の2回は2015年7月2日付の東京新聞と2015年の10月30日付の毎日新聞でしたが、今回は2004年1月15日付の日本経済新聞、今から15年前の古い記事です。時の流れの感じながらのインタビューになりました。