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ふろタンインタビュー

第6回 ふろタンインタビュー

ミャンマーの手しごと雑貨の店
11月の恒例行事になった「ミャンマー祭り」、会場の芝の増上寺の正門を入ってすぐの場所のテントに手仕事雑貨の店を出した「dacco.」、祭りの二日前に来日し終わるとすぐにヤンゴンにUターンする忙しいスケジュールの店主和田直子さん(W)、今回のインタビューは、お客さんで賑わうテントの前での突撃インタビューになりました。 ( 聞き手は室井理事長M ) 2016.11.27

ミャンマー祭り2016の「dacco.」のお店

M 2014年6月にふろんてぃあタウン工房がスタートして、その年から3回続けてミャンマー祭りには顔を出しています。ミャンマーコーヒーの店を出している「ミンガラバー・ユネスコクラブ」の安彦さんに紹介されて、昨年のミャンマー祭りで初めて和田さんにお会いしました。昨年は機関紙の「ふろタン通信」に写真を載せただけでしたが、今年はインタビューをお願いしようということになりました。来年3月のミャンマースタディツアーを企画しPRを始めたところなのですが、そのツアーの特徴はビクトリア山トレッキングと山麓の村の織物技術見学を組み合わせて参加者がどちらかを選択できること、そこでミャンマーの伝統織物技術についてお話しいただこうと、白羽の矢が立ったのが和田さんです。

W 私共は第2回ミャンマー祭りの2014年から毎年店を出しています。インタビューのお話をいただいて、ミャンマー祭りが終わった後でとも考えたのですが、かえって後片付けなどで慌ただしくしてしまうので、店の応対との同時進行にさせていただきました。

M このようなスタイルも少し変わって面白いかなと思い始めたところです。ちょうど1年前の11月にビクトリア山に行った3次隊のメンバーが、帰りにヤンゴン店「dacco.」に寄ったのですが、あいにく留守でお会いできず残念がって帰ってきました。

そのメンバーの一人森下が急遽今日のインタビューのカメラマン役です。スタディツアーの募集をしている旅行社ピース・イン・ツアーのブースがミンガラバー・ユネスコクラブと一緒になっていて、そこにウチのメンバー数人が交代で応援に来ているのです。毎年ダッコの店は特に女性客が多くミャンマー祭りを盛り上げていますが、手しごと雑貨の店をミャンマーで始めたきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

W 2002年にミャンマーの軍事政権下で日本財団とNGOセダナー、国境省で開始された少数民族地域での学校建設プロジェクトに、私は2005年から現在までNGOセダナー・ヤンゴン事務所の職員として協力してきました。学校建設と地域開発事業を組み合わせたカタチでのプロジェクト展開で、教育熱心で働き者のミャンマーの人たちが自主的に行う仕事の手助けをする。その時の経験が今に繋がっているのだと思います。 こちらに来てから、ずっとミャンマーの人たちにお世話になるばかりでしたので、何か自分にもお返しできることはないかと考え、2010年にミャンマー各地の民芸品作りを支えている人たちに喜ばれるよう、彼らのつくったものを流通させたいという思いで、ミャンマー雑貨の店「dacco.」を立ち上げました。

M 店の名前「dacco.」の意味は? ミャンマー語ではないみたいですし…。

W 子供を抱っこするのダッコです。もので云えば抱っこ紐、私にも男の子が2人いますが大切にしたい人や物を抱きしめる、ハグしたいものがミャンマーにはたくさんあります。たとえば少数民族がすむ町・村には、それぞれの州に昔から伝わっている優れた技術の特徴ある織物があります。チン州にもシャン州にもラカイン州にも…。普段使いの雑貨にミャンマーの伝統文化・技術を織り込んだバックや小物入れ、ロンジー生地を鼻緒に使ったサンダルなど日本や海外へのステキなみやげ物になるような品をつくっています。

M ここにもそのような品がたくさん並んでますね。入り口にある動物のはりこも楽しいし…。ミャンマー祭りの他にも、日本で「dacco.」の店が紹介されていて、最近は恵比寿の三越のイベントにも出展されたと聞きましたが…。

W はいそうです。次は町田の小田急百貨店でも予定されています。私は年に一度ミャンマー祭りの時に来るだけですが、日本にいるパートナーや協力してくれる方々が活動してくれています。

ミャンマーの伝統技術の継承

M これからの夢といいますか、「dacco.」をこれからどのような店にしていきたいと考えていますか。

W 母から子へ伝えられてきた繊細な編み物技術等、伝統的な工芸品づくりを支える職人さんの技術レベルはとても高いのですが、職人さんの地位・所得が釣り合うものになっていないのが一番の問題で、職人さんが適正な報酬を得て作品が流通し技術が受け継がれていくようにしたいと思っています。

M ビクトリア山の麓の村で織られているチン州の織物も、出来上がる端から買われてしまって織り手の生活は苦しいままだと聞きました。低開発国でよく言われる公平貿易フェアトレードに関わる問題でしょうか。

W そうです。出来るだけフェアなダイレクトトレードで高い技術にふさわしい環境が得られる環境づくりを目指して取り組もうと考えています。製品づくりによる継続的な収入があれば、子供の教育・将来設計を支えることができます。作り手と買い手が製品を介して対等な関係を保つことができて、双方の声を繋げることが私の役割だと思っています。ミャンマーの伝統技術の継承を支えたい、それが私の夢であり仕事です。ミャンマーの技術と文化に誇りを持ち続けて欲しいし、それを日本に届けたい。日本とミャンマーとの親しい交流を図る、日本人もホームステイなどしてミャンマーの技術を学ぶなど…、いろんなゆめは拡がります。ミャンマー・日本双方向でのそのような活動を拡げていきたいと考えています。

M 民主化を目指す新政権になって少数民族問題が色々と伝わってきますが、今日お話しいただいたことは、少数民族がすむ各州の地域づくりについてとても大切なことだと思います。最初にお話しした私たちが進めているチン州へのスタディツアーのPRチラシをお渡しします。ここに「日緬双方向交流型スタディツアーの実現を目指す」と書いていますが、「双方向交流」という共通のキーワードで今後ともお付き合いできたらと思います。話が変わりますが、2013年春に初めてビクトリア山に登った時、ガイドさんからミャンマー独特の水曜日を2つに分けて8曜日にしている占いのことを教えてもらい、それ以来興味を持って本などで見ていますが、和田さんは長く住んでおられて何か感じていることがありますか?

W 曜日占いは面白いですが、意外と日本の血液型ほどは、一般のミャンマー人はこだわりがないようです。

M 日本人には血液型とか生まれた年の干支とかいろいろありますね。曜日占いにも干支と同じように動物に譬えられていて私は木曜日のネズミですが、和田さんは何ですか?

W 私は月曜日生まれ、トラです。うちのうえの子が木曜のネズミ、おっとりしていておだやかな子です。

M 同じ性格ですねー。(笑)

W ミャンマーの占いは有名で、寺院には必ずと云ってよいほど占い師もいますし、守護神の動物が奉られているので、熱心にお参りしたしり、占い師に色々な相談事をしたりしています。私も時々占いに行くんですよ!(笑)

M アウンサンスーチーさんの誕生日は、私と9日違いの火曜日のライオン、ものの本によるとライオンとネズミはもっとも相性のいい組み合わせなんだそうです。スーチーさんとミャンマーの明るい未来に期待して応援していきたいと思います。今日はお忙しい中ありがとうございました。

ミャンマー祭りの終わりの時間が近づいても客が絶えない「dacco.」のお店、丁度インタビューが終わった時に顔を見せたのが、ふろタンインタビューがスタートした時に登場してもらった小野寺有菜さん。2014年12月の第1回と2年隔てた第6回、旧知の仲の登場メンバーお二人と並んで写真を撮っての散会となりました。