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ふろタンインタビュー

第1回 ふろタンインタビュー

カフェと雑貨「ぽれやぁれ」
師走に入って賑う、高円寺の駅前商店街の一角にあるミャンマーコーヒーを出す店「ぽれやぁれ」に、店主の安彦隆さん(A)と、小野寺有菜さん(O)をお訪ねしてのインタビューです。 ( 聞き手は室井理事長M )。 2014.12.10

不思議な店の名前のこと

M 今年の夏にホームページを始めた時から、関連する分野活躍されている方のお話を伺う「ふろタンインタビュー」というコーナーを設けていたのですが、今まで「準備中」のままになっていました。
 今回の第1 回インタビューをお願いするキッカケになったのは、「ぽれやぁれ」というこの店の名前です。そこで、最初に安彦さんに名前をつけたいきさつをお話しいただいてから、話を進めることにしたいと思います。

A どんな店にしようかと最初に考えた時、安心してゆっくりできる空間にしたいと思いました。経済至上主義の世の中でスローライフを目指す「ゆっくり」で「大丈夫」という二つの言葉にコダワリ、スワヒリ語の「ゆっくり」の「ポレポレ」とミャンマー語で「大丈夫」の「ヤァレヤァレ」を組み合わせた名前にしました。

M 私達の会(ふろんてぃあタウン工房)は、ミャンマー・チン州のビクトリア山山域での、環境整備と村おこし活動を目指しており、2013年3月のUR都市機構のワンダーフォーゲル同好会の40周年記念登山が活動のスタートになっています。そしてその20年前の20周年記念登山はアフリカのキリマンジャロでした。そんなことから、スワヒリ語とミャンマー語を組み合わせた店の名には何か妙に引きつけられました。インタビューの幕開けには、ぜひ「ぽれやぁれ」にご登場願おうとなったわけです。
 ミャンマーコーヒーを出す店なのでミャンマー語はわかるのですが、スワヒリ語との組み合わせには何か理由があるのですか?

A 特に何もありません。何となく語呂がいいのでそうしただけなんです。コーヒー豆にはコダワリがありますが、名前は気楽に決めました。(笑)

O 「ゆっくり」のミャンマー語は「エーエーセーゼー」ですが、「エーエーセーゼーヤァレ」では喫茶店の名前としては何かシックリしませんものね。(笑)

M ところで、このカフェは安彦さんと小野寺さんのお二人でスタートさせたけれど、小野寺さんは開店して間もなく、ミャンマーに渡って行ってしまったとお聞きしましたが…

O はい、私は明治学院大学の国際協力ボランティア「JUNKOAssociation」というNPO活動に携わっておりまして、その後も2010年からインターンシップ、2012年から仕事でミャンマーに行っていました。

A 今の店の看板は、カフェ+雑貨となっていますが、私は最初は雑貨屋を始め、1990年頃からアジア雑貨を扱っていました。そのころから、途上国の教育支援活動を行っていた明治学院大学から、ミャンマーとベトナムの雑貨を仕入れていました。

ミャンマーの珈琲農園を探して

M 日本ではほとんど誰にも知られていないミャンマーコーヒーを出す店を始めるために、どのように取り組まれたのですか?

A ミャンマー北部のメイミョーの高原地帯に珈琲農園があると聞いて、6~7年前に行き馬車に乗って探し回りました。ようやく「ゴールデントライアングル」という名の自然栽培無農薬の珈琲農園に巡り合いました。現在は、シャン南部のユワンガンの珈琲農園からも美味しい豆を仕入れています。私たちは、そのユワンガンの農園主を「珈琲先生」と名付けて尊敬しています。
 ミャンマーのレストランでコーヒーを飲むと気がつくと思いますが、最初からミルクと砂糖が入ったコーヒーが出てきます。コーヒーだけのが欲しいというと砂糖が入っている。砂糖もいらないというと怪訝な顔をされます。ブラックという発想がないんです。深煎りして濃くしているせいかもしれませんが…

M ミャンマーの人たちは今でもそうなんですか?

O 外国帰りのミャンマーの人たちや、ブラックコーヒーを出すカフェも増えてきましたが、今でもその傾向は残っているかもしれませんね。ドリップなどせずにお湯を入れるだけのインスタントコーヒーを使う店も普通にありますし…でも結構おいしいですよ。(笑)

M ミャンマーで、コーヒー豆を栽培できる地域は限られているのですか?

A  害虫に強く低地でもとれるロブスターという種もありますが、自然栽培のアラビカ種のおいしい豆は、標高1200m以上の高原地帯が最も適していると言われています。私たちが仕入れているユワンガンの豆も標高1200m級の地域です。

O チン州でも、珈琲栽培をしている農家はあると聞いています。

M キリマンジャロ山域のタンザニアやケニアで取れる「キリマンジャロ」というコーヒー豆があるんですから、チン州の珈琲農園でとれた豆を「ビクトリア」と名づけて出したらどうでしょう。(笑)

ミンガラバー・ユネスコクラブ

M 安彦さんは今、「ミンガラバー・ユネスコクラブ」の設立準備を進められていますが、どのような団体を目指していますか?

A ミャンマーの人たちと一緒に色々なことを学び合える団体にしたいと思っています。ユネスコというと途上国への教育支援・援助などから、日本からミャンマーへというイメージが強くなりがちですが、一方通行でなく、相互に学び合う活動・文化交流に取り組みたいと思っています。

M このような活動を永く続けるためには、いつでも「夢を持って」取り組むことが大事だと思いますが、今のお二人が描いている夢に向かっての取り組みはどのようなことでしょうか?

A 「森林農法」という森を育てながらの農業、木の周りに色々な植物・野菜などを組み合わせて栽培する、日当たりのよい場所、日陰の場所をそれぞれに生かして…。そんな森林農業は、ミャンマーが発祥の地だという話もあります。このようなことは大切にしたい。失うことなく続けるようにしていきたいと考えています。珈琲だけでなく有機野菜を栽培する「自然農園」を現地に持って、ミャンマーの人達と一緒に活動したいと思っています。

O それから古くからある植物繊維、特に「綿の栽培」は、昔はミャンマーで盛んだったのが、インドや中国から大量に安い綿製品や安価な種「新種」が入ってきたことで変わりつつあるようです。失われつつあるものの復活にも取り組めたらと思います。

A 来年3月の承認・設立を目標に準備を進めていますが、スタートしたら室井さん達のNPOがめざしている、「村おこし」活動と連携して進められそうなことが色々ありそうですね。

O 私は、ミャンマーに移り住んでミャンマーを本拠地にした活動を早く実現したいと思っています。

M その時は「ふろタン工房」の現地事務所も兼ねていただけたらとても嬉しいですね。2015年がお互いに良い年になることを願いつつ、「ミンガラバー・ユネスコクラブ」のスタートを楽しみに、今日のインタビューを終えたいと思います。どうもありがとうございました。